WRITING

02傍観するということ、Trans–Fluid

光源から放たれる一過の光を見る。
光はどこまでを光と呼ぶだろうか。

光が無くなれば、
光によって見えたものは、見えなくなり、
光によって見えなかったものは、見えるようになる。


我々は定められた物事の内側だけを漂っているわけではない。
物事の定まらない中間地点に多くの情報を見出し、
言語化しようとする。

例えば、
川が合流する地点、
動物の鳴き声、
混血の生物、
機能を失った道具。

それらの連続が、それらの領域を成長させ、
揺るぎない一筋の流れを生み出し、また分裂していく。
発展とは認識を発端とし、進歩とは過去への賛辞と退化の連続を伴う。


我々はこうして多くのことを再生産し、そこに価値付けをし、
ときには熱意を向け、消費する。


これらを傍観するということ。
変容の総体に意識を向けながら、
流れゆくそのものを、冷静に見つめる。
あたかも天文学者かのように、
見えない事実を生み出すかのように。


生きることとは、見ることだ。
光が見えなくなるまで、自ら光としてあることだ。

その変遷の傍観者は無二の価値を見いだせるだろうか。

しかし、光によって映しだされ暴かれた対象は、
即様に視覚の非対象となる。

PROJECTS

WORKwork of art

DESIGNclient workabout