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写真について

私たちは現実を見るのではなく、イメージの先に現実をつくる。

それは物理的な光の受肉である。すべての事物から「見られている」ことを受け止め、その光の反射を浴びる。つまりこれは自己意識を持つ自分を解体する行為であり、その断片を記録することである。

しかし、そもそもカメラを通した写真というのは写実的ではなく、主観的で抽象的な出力物であり、何かしらの変換装置さえ用意すれば、すべての事物は「写真的」に新しいコードを作ってしまう。このコードとしてのオブジェクト(次元を問わない)は文脈と印象の美学を持つのだが、あくまで断片的表現であることと、誤読の自由を担保していることから、鑑賞者にある種猥雑に交換される。

この写真的危うさを利用し人を欺くことは可能だが、単なるアイロニーの域を超え得ないと考える。つまり写真的行為によって解体された自己の類まれなる享楽に強制的に付き合わされる鑑賞という時間こそが写真の持つ意味である。

私たちは未来へ向けてシャッターを切れないからこそ求めるイメージを圧倒的に過ぎ去った時間=死として固着させたいが、回想から組織的に浮き上がるものはあくまで表層であり、そこにまた断片性が持つ欠落を埋めようとする(そして永遠にそれは埋まらない)創造性という名の堂々巡りがあるのである。

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02/2022

Tomonori Koyama