砂–
思うことも不私有につままれて
つま先の不安と狼煙へと
ひとりでにひとり
killer whale–
本気で数十年かけて体と精神を「シャチ」に変えようとしている人の話を聞いた。
そもそも何が人を人たらしめているのかという問題もあるのだが、これほどまでに「シャチになりたい」という、一見無謀としか思えないことを本気で実行している姿に心を動かされた。
何かに「なる」ことを強く欲する力の源は、自分自身の開放についての欲求でもあり、既成概念が盲目的に強いる抑圧から脱却することを意味する。
私は何になりたかったのだろうとぼーっと考えてみた。
あらゆる悩みに答えを出せるようになりたい。生きていることの意味や価値について一通りの答えを出したい。すべてのことについて知識を得た後に見える景色を見てみたい。
これまで禅問答のように繰り返してきた受け答えさえも、人間的な前例のある形を踏襲したに過ぎない。
一方これまで「シャチ」になった人はいない。シャチになることは前人未到の挑戦でもある。例え思うようなシャチになれなくても、シャチになれると信じて最大限なろうとすること。
こういう思いをどこかにしまい込んでなかっただろうかと自問自答する。
私の中の「私」は、私以外の誰にも見いだせないのだと気づく。
可能性から–
建築家はこれ以上建物を増やす必要がないと感じているにも関わらず家を建てなければいけない。
私たちはすでにもう、作り得ないということから始まるのかもしれない。
在ること–
人にはそれぞれ「在る」所があるそうです。
物事の在る場所を作ったり、その場所に上手く収めたりするのがデザインだとしたら、私達がどこに在るのか、を考えるのは生み出す行為の前提として、ひとつの大きなプロセスを担うでしょう。
宗教や人種、言葉の違いによる意識は比較的穏やかな日本人ですが、さまざまな文化を組み合わせて見つけた「丁度良さ」に、日本的感覚は在るように思います。
しかし都市部では、早すぎる表層的な文化変遷を撫でることで見失うものが多くあり、またそこに環境の意思のようなものがあるならば、巨大な建造物に包み込まれ個の存在を獲得できないまま消えてしまうこともあるかもしれません。自身を七色に客体化させて浮かび上がらせるためには、世界を飛び回りあちこちに場所を作るのもひとつの方法ではあります。
いまはただ、海の近くで世界の環境に思いを馳せながら実利のある思考をもって、新たな視点で限りなく強い選択肢を導くばかりです。
はじめに–
こんにちは。「㐂日(きび)」といいます。
鎌倉を拠点に制作、デザイン等を行っています。
この場では日々のこと、㐂日についてのお知らせなどを不定期で書き綴っていきます。
このとき私はまだ京都の人間でしたが。
海というのは深い思考を与えてくれます。
総体としての海は、数えきれない無数のものが集まった集合体であるように、
私達が見ているものはいつも一部分です。
海を見ている人は何を見ているのか、人の数だけ見方がありそうです。