サニツ

2024.04.11は旧暦で3月3日。普段は水面の場所も干潟になる大潮の日。

サニツ(浜下り)といい、浜に下りて足を清める伝統行事が昔から続いている。
家族で潮干狩りをする人やアーサをとる人、思い思いに過ごす人たち。

変わらないものを見つけるたびに沈黙がやすらぎに満ちる。

緑水青山

緑水青山という言葉がある。

山の木々が青々とし、水は生命力を蓄えている。自然の雄大さを表すとともに、この地球に生きる我々の心、そのありのままの姿こそが仏であるといった意味だと理解している。

宮古の水は無限の青がある。緑は深く、生きることを伝えている。私の心は何処へ行くのか、私にも分からない…

シルフェー

陽は射していても白く曇る季節。花曇りという。 そしてこの頃の南風は白南風(シルフェー)と言うそうだ。

淡くシルキーな光とシルフェー。 名前をつけることで人は「見える」ようになる。

いつか、まだ名のないものを名付けてみたい。

欲は捨てても次々とやってくる。
修行者でなければ完全に手放すのは難しい。

人は欲を原動力に動いているが
これにとらわれると空回りし始める。

ではどうするか。

欲を小さく、小さくして
満たしてあげる。

そしてそこに大きな感謝をする。
すべてにおいてこれを行えば
大抵のことは真に有り難くなる。

now-period

人間の根源的な部分は1000年単位で見ても大して進化をしていない。

そのため現状の微細な情報を追うよりも「古くて新鮮なもの」に目を向けているほうが良い。これは芸術に関しても真の意味ではしかりだと思っている。

sustain

コミュニティが知の体系を築き上げ文化継承をしていくのはコミュニティそのものを循環させて安定的に維持するためであるように、個人が発言し、表現し、それらを媒体に記録していくのは「私」という不安定で不可解なものを維持しようとする生物の自衛行為なのかもしれない。

不明

良くわかりませんと言われたら、

俺だってそうだ、おまえだってそうだろ?

と言えばよい。

ブーンミの島

「ブーンミの島」を見る。ブーンミとは宮古の織物「宮古上布」の糸績みの意であり、それにまつわる人たちのドキュメンタリーだ。宮古の精神性を知るヒントがあるのではと思っていたが、いくつか印象的なシーンがあった。

ブー(苧麻)を育て糸へとするいくつもの工程で、ある女性は「きれい」という言葉をよく発していた。

「この音がきれい」「この色がきれい」美しさを日常から拾い集めること。繰り返す作業の中にも昔は美が潜んでいたのだと思う。

また染めの染料には小さな神が宿るという話があった。しかし糸に宿るのは神ではなく、作り手の精神である、と。

身近な植物から途方もない時間を積み重ねて、国内においても最上級の布は作られる。人間の知恵の結晶のような形をしたそれは、自然の意に沿った究極の創造物のようにも見える。無から有を生み出すのが神だとすると、島のオバァ達は神に近づいているのかもしれない、と大げさにも思ったりする。

自然界に神を見出す行為は、自分以外の何者かを拠り所として思考することだ。神と作り手が相交わってまた別のものを生んでいくこと。ここに宮古のユニークな精神性があることを知れた映画であった。

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