distance–
写真とは「距離」の関係性を探る修辞学なのだ。
すべての–
若い頃は何事にも答えを求めていた。
答えが出ないのは自身の努めが足りないからではないかと思い必死で踠くが、
これはどうやらことの在り処を見誤っていたのだと気付く。
考え、悩み、対話する。
答えは出ないがそれを良しとして、ただ知を得てこれを愛す。
人はそれを哲学と呼ぶ。
変化–
墓石にキャスターをつけて墓地2.0とか言い出しそうな社会です。ちょうど良さ–
暑い日が続きます。
暑い国ではみな暑さに強く、寒い国ではみな寒さに強い。
それぞれのちょうど良さは環境によって異なる。
人間本来のちょうど良さを探していくと、ちょうど良い気温で、土地が豊かで、ほどよく安全な、どこかの国のどこかの地域が見つかるのかもと思ったりする。
でも人類全員がそこに集中するわけにはいかないし、そこに今の自分が合うとも限らない。
私たちが今いる環境をより良くする、というのはとても大事なことで。
どんな環境でも慣れることができる、そしてより良くできる。
これが人の素晴らしいところかもしれない。
可能性から–
建築家はこれ以上建物を増やす必要がないと感じているにも関わらず家を建てなければいけない。
私たちはすでにもう、作り得ないということから始まるのかもしれない。
重なり–
小さいことが、なめらかに、
ただ進むだけで、
それは生活の骨となって、
積み重なるのだと思います。
在ること–
人にはそれぞれ「在る」所があるそうです。
物事の在る場所を作ったり、その場所に上手く収めたりするのがデザインだとしたら、私達がどこに在るのか、を考えるのは生み出す行為の前提として、ひとつの大きなプロセスを担うでしょう。
宗教や人種、言葉の違いによる意識は比較的穏やかな日本人ですが、さまざまな文化を組み合わせて見つけた「丁度良さ」に、日本的感覚は在るように思います。
しかし都市部では、早すぎる表層的な文化変遷を撫でることで見失うものが多くあり、またそこに環境の意思のようなものがあるならば、巨大な建造物に包み込まれ個の存在を獲得できないまま消えてしまうこともあるかもしれません。自身を七色に客体化させて浮かび上がらせるためには、世界を飛び回りあちこちに場所を作るのもひとつの方法ではあります。
いまはただ、海の近くで世界の環境に思いを馳せながら実利のある思考をもって、新たな視点で限りなく強い選択肢を導くばかりです。
白露–
晩夏の様相、白露へと水は変わりゆく。