シルフェー–
陽は射していても白く曇る季節。花曇りという。 そしてこの頃の南風は白南風(シルフェー)と言うそうだ。
淡くシルキーな光とシルフェー。 名前をつけることで人は「見える」ようになる。
いつか、まだ名のないものを名付けてみたい。
欲–
欲は捨てても次々とやってくる。
修行者でなければ完全に手放すのは難しい。
人は欲を原動力に動いているが
これにとらわれると空回りし始める。
ではどうするか。
欲を小さく、小さくして
満たしてあげる。
そしてそこに大きな感謝をする。
すべてにおいてこれを行えば
大抵のことは真に有り難くなる。
now-period–
人間の根源的な部分は1000年単位で見ても大して進化をしていない。
そのため現状の微細な情報を追うよりも「古くて新鮮なもの」に目を向けているほうが良い。これは芸術に関しても真の意味ではしかりだと思っている。
ブーンミの島–
「ブーンミの島」を見る。ブーンミとは宮古の織物「宮古上布」の糸績みの意であり、それにまつわる人たちのドキュメンタリーだ。宮古の精神性を知るヒントがあるのではと思っていたが、いくつか印象的なシーンがあった。
ブー(苧麻)を育て糸へとするいくつもの工程で、ある女性は「きれい」という言葉をよく発していた。
「この音がきれい」「この色がきれい」美しさを日常から拾い集めること。繰り返す作業の中にも昔は美が潜んでいたのだと思う。
また染めの染料には小さな神が宿るという話があった。しかし糸に宿るのは神ではなく、作り手の精神である、と。
身近な植物から途方もない時間を積み重ねて、国内においても最上級の布は作られる。人間の知恵の結晶のような形をしたそれは、自然の意に沿った究極の創造物のようにも見える。無から有を生み出すのが神だとすると、島のオバァ達は神に近づいているのかもしれない、と大げさにも思ったりする。
自然界に神を見出す行為は、自分以外の何者かを拠り所として思考することだ。神と作り手が相交わってまた別のものを生んでいくこと。ここに宮古のユニークな精神性があることを知れた映画であった。
南風–
近頃、夜になると湿気が高まる。
空気が肌にヒタっとまとわりつき、そのねっとりした加減とともに眠気もやってくる。
朝、太陽が登れば、それはさらっとした空気に変わる。
ちょうど今の時期、南風が吹き湿気を運んでくるようだ。
これをプスピローマヌパイカジ(星昼間の南風)と呼ぶそう。
太陽が空の頂点に来る昼間のように、星にも一番輝ける昼間がある。
この昼間に吹く南風が、星昼間の南風。
星が上がれば風が吹き、私は眠りにつく。
湿気のようにトロンとして、南風と同化する。
ふたつの心–
心にはふたつある。
ひとつは身体を制御し物質的に支配する心。
もうひとつは身体的作用から知覚を移り変えていく心。
近頃はなるべく後者の心を許し、
ただの岩にさえこの心を変えてくれよと願っている。
削る–
毎日引き算の練習で、いくらでも引いていけるような気になる。
いつしか自分の身さえも極限まで削れていき、ただ空になることを望む。
何か–
何者でもない私達は、また何者でも亡くなっていく。