喜び–
喜びとは、苦悩の大木に実る果実である。
ヴィクトル・ユーゴー
捨てる–
人生はいろんなものを捨てていく過程だとすると、私の道具である言葉も、図像も、写真も、選んで取得するのではなく捨てていくことばかり。
捨てて捨てて、それでも残るものはその事物たちが判断して、存在し活動していることを示すためだけにある。
それが最も美しいと思うし、そこにもう「私」はいないのである。
wonder–
自分が何を中心に生きているか改めて自覚することはあるだろうか。自分は以前は視覚だった。視覚で得て、視覚で考え、視覚で出力していた。
なぜそうなったのかはよくわからない。幼少時からこだわりがあったので、そういう「生まれ」なのかもしれない。得てして人の性に理由なんてないのだ。
ソフィ・カルの作品に、海を見たことのない人に初めて海を見せ、その様子を撮影した映像があった気がする。こうした体験から得られるエネルギーはどれだけのものだろう。
子供の日々はこういった特別な得難い経験の連続だ。「?」や「!」が毎日ある。それを積み重ねて大人になるにしたがい「?」や「!」は少なくなっていく。しかしレイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーで語られているように、目のつけどころ次第で自分の感覚はいつでも更新できるようにも思う。
キルリアン写真(物質のコロナ放電を捉える写真のこと)のように、特別な方法で見ようとすれば見えるものは数多くある。私はどんなときでもこの「事実を浮き上がらせるワンダー」を持っていたいと思う。
目を閉じて拠り所を探す。
class–
もし美的なものにヒエラルキーがあったとすれば、人工的な美が最も下にあり、その次に皮肉やユーモアがある。そして最上位にあるのは、ただそれだけで満たされ過不足なく有ることの存在の証明ができるもの、であると思っている。
軸–
デイヴィッド・リンチのストレイト・ストーリーにてこんな会話がある。
「年寄りになって最悪なことは?」
「若者だったときの記憶を覚えていることさ」
過去を積み重ねるほど、「今を生きる」のは難しくなるものか。
room–
たった一言が人を傷つけるし
たった一言が人の心を救う
stillness 2–
ポートレート写真って結局、自分が写真に撮られていることを知っている人の写真なんですよね。
stillness–
深く、深く、眠るように。