JOURNAL

矛盾

矛盾とは何者なのか。

井筒は禅の欠点として、論理を超越するものとして矛盾を経験的に有難がるが、過度に聖化し、また不立文字として概念的な追求をせずに思考停止を正当化する免罪符となっている点を上げていた。

一方で、ナーガールジュナから山内得立へと渡るテトラレンマは矛盾を論理の拡張の契機として分節している。

そもそも自己というのは存在論的矛盾構造にあり、これが人間というシステムの常態だとすると、矛盾こそが生成の契機であって、新しい秩序が生まれる臨界点である気がしてならない。

矛盾はパッシブな負荷をかける。それでも思考を前進させるものとして抱えこむべきものなのだろう。出来る限り限界まで緊張をもって言語化し続ける必要がここにはある。手放して自由な解釈に委ねるのはそこからでも良い。