JOURNAL
open mind–

本居宣長は輸入された思考体型を絶対視することを「漢意」と言い批判し、自分自身の中にすとんと落ちるような独自の論理を作る必要性を説く。また宣長は、兼好法師が「花は満開でなくてもいい、月も雲がかかっていてもいい」というのは結局万全な状態を望んでいるのであり「作り風流では」と批判する。
私は、西も東も、その土地があるべくして開いたもので、それが流行っていようがいまいが、自分の中ですとんと落ちれば受け入れたい。長い時間軸で捉えれば大抵は枝葉末節であるが、そこに情を感じるのもまた人間だと、宣長のように素直でいたいと常に思う。