JOURNAL
自己と自己–
人を人間と呼び、人の間(あいだ)と書くのは、本来は中国にて存在した時間・空間的距離を示す「人間」なる言葉が、人の理を実直に示す言葉として日本的精神性に合致していたため採用されたのだと聞く。
人と人のあいだ、そこに自己を見出すということは、絶対的な内部的自己と他者による干渉を引き受ける半外部的自己の、分裂的な、断絶を受け入れるということになる。
ここにある緊張が「差異の同一/同一の差異である自己の自己性」を支えていると木村敏は言う。
それは同一であるための前提としてのデリダの差延――つまりこのズレによる緊張を以ってして自己は自己たらしめられ、同一性に再帰する。
もし人が無人島でその他の動植物と共に生きていたら。
人と人とのあいだよりも、人とデータのあいだ、の関係性のほうが優位だとしたら。