JOURNAL

拡張的古典事実

近年の創造的な新しい概念を創世記や神話、古事記などの古典に出自を求める動きが時々ある。つまり最近のこの考え方はすでにこれこれに載っていたよ、と拡大解釈することである。

上記の神話は往々にして抽象的な事象の連なりであり解釈の幅がある。それを利用して、さも近年の新しいイデオロギーがそれらの神話によって予測されていた、もしくは発端だと主張するのは閉鎖的な宗教擁護者がよく行う手法である。

こうやって後付けで物事を過剰に接続し神格化させることは真の創造的行為ではない。ましてや現実のテクノロジーの拡張性や生物学的進歩の倫理性について何も解決しないどころか問題をややこしくする。

現実主義者と合理性、及び理性で物事を思考しない人間との溝は、今後より一層深まっていくだろう。