JOURNAL

art is

諸科学が「A is B」を証明することを目的とし、哲学はこの「is」の部分を解明することを目的にしているとすると、芸術とは何だろう。

「A is not C」のAからCの歩み寄りかもしれないし、AもBもCも存在せず繋がりがないことを証明、もしくは証明さえできないことを示す態度かもしれない。ただそこに目的は存在し、「A≒B」もしくは「A to C」のような特異点としての知性的表層を生み出すことかもしれない。

芸術が理解し難いのは、それら表層から得られる感覚のラベリングが人によって異なり、認識にズレが生じることを許容している構造にある。これらを統合概念として名称を割り振り辛うじて共有できる場合もあるが、殆どは観念的で煩雑に散らばっているだけである。

そしてそれらを整理しつくそうにも、制作者は合理性よりも無意識的な誘惑を優先していることが多く、また知り尽くすに値しない過程を経ているものが殆どである。

結果、人は他者への興味が尽きてしまったり拡大解釈を繰り返す。それらは未整理のままに、自ら自己を外化する人間が後を絶たず、描かれた概念はいつまでも有用性とは程遠い円環を巡る運動となる。

近頃この辺りの知性の限界(と措定する)に興味があり、こういった無法地帯と基準、矛盾と整合性の揺れ動きこそが人間の素晴らしさと馬鹿馬鹿しさを示しているように思えて他ならないのである(褒めてる)。