関係の自由–
ある日宮古島でタクシーを利用した。googlemapで行き先を見せ運転手に告げた。すると「わからない」という。地図を見せても理解しないのだ。これはかなり特殊な例でいろいろ思うところはあるが、つまりこうなのだ。
「土地や建物を相対的な関係性で理解はしているが、地図のような絶対的な位置で把握をしていない。」
これは人間においてあらゆる場所で散見される現象でもある。あの人がいるから私は幸せだ、とか、慣例ではこうなのでそれに従うべきだ、とか、パセリは洋食プレートの横に添えるものだ、とか。
人が記憶するときに有効な手段として「連想」がある。ものとものを連想させて、ひとつのものからもうひとつのものを思い出す方法だ。これは一見して人間的な合理性を持っているようで綱渡りのような関係性でもある。つまり首の皮一枚つながっているような不安定さゆえにいつその文脈から外れるかわからない。
相対的な把握、絶対的な把握、どちらにもメリット・デメリットはあるだろう。しかし相対的な把握のみで生きている人間は大きな欠落を背負うことになる。そしてそれに気づく瞬間が訪れることは少ない。
絶対的把握は自由の風を運び込む。恐れずにその風に吹かれていたいと思う。